不安障害

少しずつ治していきたいと思っています。

なぜ精神病は甘えなのか

精神病は診断結果が分かれるからめんどくさい(実話) - とある青二才の斜方前進

 

の記事を読んで少し思ったことがあるので書きます。

精神病の診断結果がでて治そうとする人が少ないのは事実だと思う。

しかし、医師の診断結果に不満があって変だから病院に行かないなんてことは極めて稀な出来事ではないか?と思っています。

 

何故かというと、精神科に通う人で他人に進められて行く人よりも自発的に精神科に行った人はなんらかの病名が下されることを待っていると思うからです。

 

だって病名をつけられた方が単純にいろいろな理由になって楽だし、治療も医師からしてもどんな薬を出せばいいのか判断するのに病名があったほうが楽だと思う。

これが問題なんだと思うのです。

ただ、僕が言いたいのは精神疾患とは自分が病んでることを人に理解してもらい、適切な処置をしてもらうだけでも大変な時間がかかり、復帰やリハビリにも更に長い時間がかかる。」ということ。

と、三沢文也さんも言っている様に精神疾患は自分が病んでいることを人に理解してもらいたがる傾向があるため、病名が必要となり、医師も病名のついた患者を必要とする。

 

しかし、理解をしてもらうにも同じような精神病を持った人が身近にいたり、自分も経験している身でないと相当な時間が必要だと思う。

 

しかし相当な時間を精神病の人と過ごすのは個人的にはオススメできない。最初は弱ったツバメを保護してあげるような感覚で精神病患者に寄り添いあたかも理解しているかのように同意するのは簡単なこと、けれど精神病とは一般の人間が思っているよりもずっと心がすさんでいると思う。

自暴自棄にもなるし被害妄想もするし受けた優しさをお前になにが分かると仇で返すことも少なくないと思う。

これは自己愛性パーソナリティー障害に近いもので自分は人に根本的に受け入れられない欠陥があるという失念からくるものではないか?と思っている。

 

要するに、精神疾患とは大まかに分けられているものの、似たような経験から症状や思考回路が枝分かれしているだけで診断結果がわかれてしまうことは不正解ではないと思う。

 

そして本題に入るとなぜ精神病は甘えなのか?

という点について、先ほども言ったように病名を求めて精神科に行く人は少なくないと思う。

これは悪い意味で言っているわけではない。生きていくのが困難になった場合病名や理解を求めるのは人間として妥当な判断だと思う。

しかし、精神疾患の中にはインターネット上のSNSサービスなどで「医師からドクターストップがかかってしまっているので働けません」と"なぜ病気になってしまったのか経緯を知らない人にまで"病人を激しくアピールする人もいる。

 

承認欲求の一環としてみれば働いていない自分には働けない理由があるのを認めて欲しいという考えからでた結果だと筋が通っているのだけど、精神疾患というのは外傷がないので他人からは分かりづらい。

例えば足が血だらけになり、うなるような声で「交通事故で働けません」といわれたら働けないのは一目瞭然です。

しかし精神疾患はどれだけうなるような声でアピールをしても健常者にしか見えないので理解を得がたい。

かといって精神を病んでしまった理由を一から十まで話す人はそう多くないと思う。そもそもなぜ自分の精神が病んでしまってるのかさえ分からない人もいるのだから。

よって、なぜ精神病は甘えなのかに答えをつけるとしたら精神病はウィルスや寄生虫のようにはっきりした原因がなく、外傷もないため病気であることの理解が得がたい。そして理解を求めるには有る程度の親密さが必要になるから。だと思います。