不安障害

少しずつ治していきたいと思っています。

盗み聞きninjaなわたし

友達「結婚したい」

恋人「そうなの?」

友達「うん なんで?」

恋人「・・・・」

友達「結婚したくないの?」

恋人「できる」

友達「したいか したくないか」

恋人「ふふふふふふ・・・したい」

友達「したいんかー」

恋人「仮にしたくなかったとしても言えないでしょ」

友達「そうだよなー」

 

なんですかこのブラック怖い会話は・・・・。

ドタキャン王子がそれでも好き

おはようございます。

 

最近忙しくて毎日更新しようと思っていたブログの更新ができなくて悲しいです。

 

なぜ私の恋人がドタキャン王子なのかと言いますと今日の会話の一部始終を聞いてほしいと思います。

 

21時頃

恋人「今起きた」

私「うん」

私「明日仕事あるから今からじゃ遊べない」

恋人「ごめん」

私「いいよ!気にしないで!」

恋人「明日は仕事なんだっけ?」

私「うん 終わったら遊ぶ?」

恋人「そうする」

翌日5時頃

恋人「うーうーうー」

私「どうしたの?」

恋人「具合悪い」

私「今日ママンとデート行くんでしょ?」

恋人「うん」

私「あはは~、今日遊ぶのやめる?」

恋人「そうしよっかな~」

 

切り出したのは私なんですけれども、遊ぶ予定があるのに具合が悪いと言われたら(私と遊ぶのめんどくさいのかな)なんて思ってしまうのです

だけどそう言われるのが怖くて自分から切り出してしまうのです

 

PS

次回は与沢翼についてという嘘をついてしまい申し訳ありません。

また時間があるときに書きます

普通の忙しさがある日々

最近仕事をはじめたので普通の忙しさというのを手に入れてブログを描く時間と体力が余っていません。

 

しかし外の空気を吸って新しいコミュニティを作るということはかなり毎日が充実し、精神状態も安定するということに気づきました。

 

ゴールデンウィークに入っても仕事で埋まっているので更新頻度は下がるかもしれませんが、わざわざこのブログを読んでくれる人がいるのでなるべく記事を書かせていただきます!

 

次の記事は与沢翼についてです!

オナニーマスター

 

恋人の自慰が許せない自分が気持ち悪い話しをします。

 

妙に生々しく動物的に発生する性欲を人間らしく解消する姿がパソコンの前で無表情で手を上下に滑らしているだけの状況が一室で淡々と行われていると思うと激しく虚しい。

 

それも世界一愛していて尊敬していて偉大な存在だからこそその性欲に対する解消方法の生々しさに気持ち悪さを残すのです。

 

恋人を自宅に呼ぶときはパソコンのブックマークを非表示にしましょう

ぶらり江ノ島観光

こんばんはくらめです。

神奈川県に住みながら江ノ島観光をしたことがないので恋人に連れて行ってもらいました。


江ノ島はたくさんの猫と観光客で賑わっていました。


猫ちゃんを触ろうとすると恋人は汚いから触るなと怒りますが、すり寄ってくる猫ちゃんにも擦り寄られる私にも罪はありませんバレないようにそっと左手で撫でてやるのが人間慣れした猫ちゃんに対する礼儀なの

です。

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タコせんべいが並ぶほど売れていたので恋人が購入し、少し頂くとペラペラになったタコのくせにしっかりとタコの味がしてとても美味しかったです。

外国人観光客もタコせんべいを食べてしかめっ面になることはなく、親指を立ててGOOD!と言っていました。


花壇がたくさん並ぶ花のイベントや洞窟観光もありますのでみなさんも是非訪れてみては如何でしょうか。


血液検査でうつ病がわかる時代

日本でもついにうつ病が血液検査で調べられる時代に : カラパイア

 

という記事を見て思ったこと。

タイトルで血液検査でうつ病かどうかわかってしまったうつ病としての価値が下がって保護対象から外れて生活保護受給者が減るのではないか?と思いました。

何故うつ病の病気的価値が下がると思うのか

日本では10~15人に1人が生涯のうちに1度はうつ病を経験すると言われていて男女比で現すと男性の二倍近く女性が発症しているそうなのですが、まず何故女性の方がうつ病の発症率が高いのかを考えました。

女性の脳みそは割り込み型の脳と言われていて同時にいくつもの事をこなせる脳らしいのですがそれが原因で家事や育児や仕事のストレスを同時に溜めやすいらしい。

 

これを脳機脳学的ストレスと呼ぶのですが、私は女性の脳の構造が同時にいくつもの事柄をこなせる便利な脳ならストレスを溜めている反面で別のことでストレスを発散させることができるのでは?と疑問に思うのですがそこは敢えて保留ということにします。

 

また、ホルモンバランスも関係しているようで女性は興奮や不快感を鎮める働きのあるセロトニンが男性より少なく感情が乱れやすく、一日に交感神経と副交感神経の働きが何度も入れ替わりストレスを溜めやすいためうつ病になりやすいといわれています。

 

女性の方がうつ病になりやすい理由が2つあげられましたが、正直の理由たちには少しばかり違和感を持ちます。

なぜかというと最近では専業主婦というのは減ってきましたが、やはり日本の現代社会では男性はもし自分が「うつ病なのかもしれない」と思っても、家庭を支える柱である以上仕事に穴を空けたら家族にメシを食わせられない。

その上まだ理解の少ないうつ病で仕事に穴を空けるなんて世間では甘えていると取られてしまうのではないか?

と、思い精神科に行くことさえしない男性が多いのではないかと思います。

それがどうでしょう血漿中のエタノールアミリン酸というの物質の濃度で明確に病気であるか否かが判断されるのです。

血液検査でうつ病の診断ができるのならば・・・と病院に行く人も増えるのではないでしょうか?

となると現在うつ病で治療している方が実はうつ病ではなかった場合を考えてもより多くの人間がこの検査を受けると考えるとうつ病の人間は今以上に増えるのではないかと思います。

 

 

なぜ精神病は甘えなのか

精神病は診断結果が分かれるからめんどくさい(実話) - とある青二才の斜方前進

 

の記事を読んで少し思ったことがあるので書きます。

精神病の診断結果がでて治そうとする人が少ないのは事実だと思う。

しかし、医師の診断結果に不満があって変だから病院に行かないなんてことは極めて稀な出来事ではないか?と思っています。

 

何故かというと、精神科に通う人で他人に進められて行く人よりも自発的に精神科に行った人はなんらかの病名が下されることを待っていると思うからです。

 

だって病名をつけられた方が単純にいろいろな理由になって楽だし、治療も医師からしてもどんな薬を出せばいいのか判断するのに病名があったほうが楽だと思う。

これが問題なんだと思うのです。

ただ、僕が言いたいのは精神疾患とは自分が病んでることを人に理解してもらい、適切な処置をしてもらうだけでも大変な時間がかかり、復帰やリハビリにも更に長い時間がかかる。」ということ。

と、三沢文也さんも言っている様に精神疾患は自分が病んでいることを人に理解してもらいたがる傾向があるため、病名が必要となり、医師も病名のついた患者を必要とする。

 

しかし、理解をしてもらうにも同じような精神病を持った人が身近にいたり、自分も経験している身でないと相当な時間が必要だと思う。

 

しかし相当な時間を精神病の人と過ごすのは個人的にはオススメできない。最初は弱ったツバメを保護してあげるような感覚で精神病患者に寄り添いあたかも理解しているかのように同意するのは簡単なこと、けれど精神病とは一般の人間が思っているよりもずっと心がすさんでいると思う。

自暴自棄にもなるし被害妄想もするし受けた優しさをお前になにが分かると仇で返すことも少なくないと思う。

これは自己愛性パーソナリティー障害に近いもので自分は人に根本的に受け入れられない欠陥があるという失念からくるものではないか?と思っている。

 

要するに、精神疾患とは大まかに分けられているものの、似たような経験から症状や思考回路が枝分かれしているだけで診断結果がわかれてしまうことは不正解ではないと思う。

 

そして本題に入るとなぜ精神病は甘えなのか?

という点について、先ほども言ったように病名を求めて精神科に行く人は少なくないと思う。

これは悪い意味で言っているわけではない。生きていくのが困難になった場合病名や理解を求めるのは人間として妥当な判断だと思う。

しかし、精神疾患の中にはインターネット上のSNSサービスなどで「医師からドクターストップがかかってしまっているので働けません」と"なぜ病気になってしまったのか経緯を知らない人にまで"病人を激しくアピールする人もいる。

 

承認欲求の一環としてみれば働いていない自分には働けない理由があるのを認めて欲しいという考えからでた結果だと筋が通っているのだけど、精神疾患というのは外傷がないので他人からは分かりづらい。

例えば足が血だらけになり、うなるような声で「交通事故で働けません」といわれたら働けないのは一目瞭然です。

しかし精神疾患はどれだけうなるような声でアピールをしても健常者にしか見えないので理解を得がたい。

かといって精神を病んでしまった理由を一から十まで話す人はそう多くないと思う。そもそもなぜ自分の精神が病んでしまってるのかさえ分からない人もいるのだから。

よって、なぜ精神病は甘えなのかに答えをつけるとしたら精神病はウィルスや寄生虫のようにはっきりした原因がなく、外傷もないため病気であることの理解が得がたい。そして理解を求めるには有る程度の親密さが必要になるから。だと思います。